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◆2008年11月10日、。 東洋蘭楽焼植木鉢 渡来人阿米也の子供が「楽家初代」とされる長次郎です、。千利休と共に信長や秀吉に仕えました、。太閤秀吉から寿楽邸の楽の一文字を取って「楽」の金印を与えられたのは、二代目常慶だと言われています、。これ以後、そのお茶碗は「楽焼」と呼ばれるようになり、苗字も「楽」を名乗るようになったようです、。これは、「楽家本家」の話です、。、 楽焼は一子相伝で釉薬の調合法などを伝えたため、二代目の弟や三代目の弟ほか(所縁の窯を入れると)5名ほどが窯を開いたようですが、これを「脇窯」または「素人のお庭焼」と呼び、「本家の本窯」と区別しています、。 脇窯は勝手に「楽」を名乗ったり「楽落款」を入れる事は許されず、楽の下に1~2文字を加えた落款を使用したり、「無落款」の製品を作ることになりますが、これを犯して「楽」落款を入れたり「楽焼」を名乗ったりした者は、時の朝廷から京洛10里外玉水の里まで追放されたりする者も出るほどでした、。 この「脇窯」は生活のために生活雑貨を焼き、「植木鉢」も作られるようになって行きます、。この辺が「楽焼鉢」の始まりの姿です、。西暦1660年前後の事です、。昨日掲載の画像が脇窯のものです、。 そろそろ、現時点で書ける事も少なくなって来た、。これ以上は、何かの機会に証拠となる画像や資料を添えて、具体的な名前なども入れながら、一つの文章にして発表したいて思います、。「楽焼き鉢」の事を分かってるつもりでいた商人さんや一部の楽鉢蒐集家にはショックな内容になるかもしれないけれど、まだ時間があるので、出来れば波風立てないように、ソフトな言い回しに抑えられるよう考えておきます、。 「楽焼き植木鉢」を調べている内に、現在の「楽焼き鉢」に大きな影響を与えた「狩野派絵師集団」のこと、江戸幕府成立と共に本拠地を江戸へ移した本流以外の人達、京都へ残る道を選んだ「京狩野」と呼ばれる人たちに興味が出て調べたりもしてます、。 「楽焼き鉢」に大きな影響を与えたもう一人「千利休」にも興味が出て、利休は長次郎をわが子のように愛して,共に「茶道の道」を究めようとしていたのに、また、秀吉は利休に心から信頼を寄せていたのに、何故、利休に切腹させてしまったのか、一体何があったのか、とか、その時長次郎はどうだったのか、とかと、余計な事まで調べたりするもんだから、植木鉢に関する資料の少なさもあって、寄り道に時間ばかり取られる始末だ、。 必要なもの以外を一切排除した簡素質素な所に侘びの心を見出す利休の影響を強く受ける「楽焼」が、「植木鉢」になったら利休の精神を忘れたように派手な絵付けをするようになったのは何時の頃から誰の手で、だろうか、とか、寄り道も多いのだた、。 昼間の気温が13度くらいしかなくて、植え込みを少しやると早々に家へ入ってしまう、。
by evian_tn
| 2008-11-09 23:32
| 東洋蘭鉢古鉢中国鉢
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