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◆2010年8月16日、。 中国奥地蘭「朶朶香紫花A」 「楽焼鉢」の記事が多くて、肝心の「東洋蘭」の記事が少なく、申し訳ないては思ってますん、。 楽焼鉢(他の鉢でもかまわないのですが、)に関しては、「こんな事を書いたら天下に恥を晒さないか、」とか「何を聞いていいのかが分からない、」とかの人が多いて思いますが、何を聞いて下さっても、何を書いて下さっても結構です、かまいません、。全否定てか「鉢は分からない、難しい、興味ない、」て思われるよりは遥かにいいですから、。 蘭も狭い範囲の一分野だけじゃなく、全部を知った上で専門的に栽培した方が人生が充実するでしょうし、「用土の事」も全部の「土の性質」を知った上で、ご自分の仕様用土を使った方がうまく行くでしょう、。じゃ、ついでに「鉢」も少し知って下さいな、。その程度の軽い気持ちで鉢記事もお読み下さいね、。東洋蘭趣味の幅が広がりますん、。「蘭」と「土」と「鉢」とがあっての「東洋蘭」ですからね、。庭に地植えする人以外はね、。 エビアンには若い頃に建築パースイラストレーターをしてた10年間がある根が職人です、。だから、絵描きや絵師の癖が見れます、。本体テーマは誰が描いても個性は出なくて似たような仕上がりになるとしても、絵画や鉢の絵付けには、必ず、テーマの横や上下に不要な空間ができ、ここに何かを描かねば間が延びるという場所があります、。ここを埋めるのに作者の最も得意な埋め方をするものです、。ここを見れば、絵師が同一人か別人かが判断できます、。今、それが役立ってるかな、。 で、息抜きに「奥地蘭」、。朶朶香、。朶朶香は雲南省の春蘭なので、栽培は容易、。日本人には馴染みも深い、。でも、朶朶香の良品てのは日本人が想像するよりも少ないもんです、。中国には火山灰土質の土地がそうはないからでしょね、。 朶朶香紫花といっても、風来記の「富紫荷」は荷花弁で、かなりの優品だけど、それでも花弁内側に緑色は乗ります、。日本春蘭の紫花でも同じ、。紫色の色素と緑色の色素は親戚同士だから、。 画像の朶朶香中型紫花Aも同じ、。つぼみ時には丸くて黒色に近い紫色で期待させられるけど、花弁内側には緑は乗ります、。花弁の内側もベッタリ紫色の蘭は存在するはずだ、と思うのは大きな落とし穴、。 全部、緑色は乗ります、。欠点と言えば欠点、。、それが特徴と言えば特徴、。渋めの花を見てやって下さい、。 ---------------------------------------------- ◆朝、仏壇の灯明を蝋燭と線香に移して玄関前まで御先祖の精霊を案内し、オガラを燃やしてお見送りした、。浮遊霊のみなさんにもお帰り頂いて、これで盆の行事は終わり、。今宵、テレビで「京都・五山の送り火」を見て盆の終わりを実感する、。 ◆それで、他の地方の人は見れないんだろうけど、「テレビ京都」で「五山の送り火・2010」を中継で見た、。午後20:00に東山の大文字に点火に始まって、20:10分松ヶ崎の妙法、20:15分大北山の左大文字と続き、舟形、20:20分曼荼羅山の鳥居形に点火され、幻想的な雰囲気の内に先祖送りの行事が行われた、。 放送の中で解説者が言ってたけど、「五山の送り火が何時から始まったのか、なぜ大の文字なのか、」とか「江戸後期~明治にはもっと沢山の送り火があったらしいのに、今ではその場所も特定できない、」とか言うのを聞いて、「五山の送り火」の資料でさえ無いのなら「楽焼鉢」の資料など、とてもじゃないが存在しないだろうなぁ、て納得したよ、。 まぁ、京都の街は歴史上何度も大火に遭ってるからな~、紙の資料は過去にあったとしても火事で焼失してしまってるんだろなぁ~、。建築物でも、平安京当時の建築物で現存するのは「東寺の五重塔」くらいなものらしいからね、。燃えてしまったんだろね、。平安京の内裏が何時のまにか現在の京都御所へ移ってたりするんだから、些細な資料程度は大切に保管はされずに焼失しただろなぁ~、。長次郎が焼き物を焼いた「寿楽第(邸)」でさえ、その場所は特定できないくらいだからなぁ~、。京都から資料が出る事は望まない方がいい思う、。
by evian_tn
| 2010-08-16 01:30
| 奥地蘭
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