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◆2007年11月11日、。日本春蘭「女雛、」、。 「女雛」は「歌麿」や「巴御前」の故・谷嶋孝司さんの蘭だ、。谷嶋さんとは昭和50年ごろ東京中野・荒井薬師での展示会で知り合った、。後にこの荒井薬師のメンバーが中心になって「全東連」を作る事になる、。だからエビアンは当初「全東連」の副会長だた、。 - 谷嶋さんは茨城県の山採り人から山採り無選別品を買っていたのだが、「女雛」はその中から出たのだそうだ、。登録は千葉県産となっているが、実は茨城産だと思う、。後に女雛とソックリ似た蘭が出たのだが、違う荷物から出たので同じ名前にする訳には行かないから、と後の方には「男雛」と命名した、。 - その頃のエビアン棚へは、石川県金沢の堀喜雄という商人が出入りしてて、日本春蘭の大部分は堀さんが運んだ、。まだ西日本の商人が東京へ行かなかった頃のことだから、。 昭和55~57年の間のある日、堀さんが「女雛」を持ってきた、。西日本初お目見えの蘭だ、。8センチばかりの葉切れのバックと10センチほどの新木の2本の親から、葉切れバックに10センチ足らずの新木が1本と、前木の去年新木からは10センチほどの2本の新子が出ている、。前木に双子の3本立ちは売れない(非売品)だと言う、。 - それで、後木葉切れ3枚に新芽10センチ3枚葉なら60万円で売るというので買う事にして、さて堀さんが鉢をあけると・・・なんと、前木の新木に双子吹きだと見えた内の1本の新子は、葉切れバックからの潜り芽だった、。(バックの葉切れから両子、去年新木からは芽が1本、)、。 さぁ、堀の爺さんはハタと困った、。右手と左手とにバックからの3本と新木新木の2本立ちとを持ったまんま、しばらく固まってしまった、。2~3分間ではきかない、5分間くらいも固まって何も言わないのだ、。 - なんしろバックの方は既にエビアンに60万円で商談成立している、。「堀さん、どうするや?、」とエビアンに迫られ(こういう時のエビアンは声は低いし大阪弁だしで結構迫力あるらしい)、今度は「うーむう、バックの3本は売れない、」と言い出したもんだ、。 「新木新木を売るから、もう10万円付けて欲しい、」と言い出す始末、。結局、堀さんの希望通りに買い入れ、めでたく西日本初の「女雛」は新木新木の2本立ちでエビアン棚に納まった、。 ---------------------- ◆この前後、堀さんとは「巴御前」のことがあるのだが、「女雛」を買った翌年、今度は15センチほどの大きな「女雛」2本立ちを「巴御前では迷惑をかけたから、」と言って、100万円の所を2割引きの80万円で置いて行った、。 これで「女雛」は2鉢になった訳だが、2~3作してみると、どうも性質が違う、。初めの方は、葉が黄色っぽくて直線的、のびのび大きくならず締った葉姿で、そんなには増えないのに、後から来た方は葉色濃緑、あっちからもこっちからも芽が出て良く増える、。 花はほとんど差はないのだが、初めの方が気持ち平肩気味、。紅色は後の分の方が濃いような気がする、。 「女雛」と「男雛」は別種として存在する、とエビアンは思う、。谷嶋のオヤジが言ってた通りだ、。 ---------------------- ◆ともかく、あの頃のエビアンは日本春蘭の新品種が出れば、真っ先に飛びついていた、。後年、横浜宝寿園の中村君(故人)が来た時、「エビアン棚で増えているからといっても、日本中で増えている訳じゃぁなくて、まだまだ貴重なんだから大切にしなきゃ駄目ですよ、」と言われたほどだた、。 ------------- 今でも「女雛」はエビアン棚に多い、。好きなんだから仕様が無い、。
by evian_tn
| 2010-10-14 22:39
| 日本春蘭
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