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![]() ◆2011年5月11日、。 京楽焼鉢の上絵付けの歴史 ひょんなことから江戸後期の黒楽焼鉢が昨日届いたので、久しぶりに楽焼鉢スレを立てる気になった、。(気分屋なんだ、エビアンは、) 昨日届いた黒楽万年青鉢は6寸の大鉢で、たどたどしい作りから見ても江戸後期、まだ試行錯誤の過程の鉢だろう思う、。いずれ風来記トップ画面でご紹介しよ、。 江戸後期(風来記の分類では1800年~1853年を指す)、以前の楽鉢界にも絵付けは存在したが、「楽忠」「楽雅亭」のように「浮彫に瑠璃釉薬」を掛けたものか、白胴に瑠璃で絵を描いたもの程度だった、。 一度「下絵付け釉薬」を掛けて焼いた黒楽の表面に緑や赤の多彩な上絵付けをして焼き付けた派手な錦鉢は、幕末から明治初期に顔料界に革命的変化があって実現可能になったものだろうと見当をつけている、。 ヨーロッパの油絵具界で現在のような「チューブ入り絵具」が発明発売されてから安価に絵具が手に入るようになった時期は、「フィンセント・ファン・ゴッホ」の時代だと思う、。ゴッホの生誕は1853年、日本では黒船来航の年だ、。ゴッホが盛んに絵を描いたのは明治時代てことになる、。 「楽焼鉢」の上絵付けの技術は、「イッチン」で描くもので、日本でのイッチン技術自体は1750年頃に使われ始めていた、。初めの頃は粘土と水と鉱物質とを混ぜて描いたもので、単純な白色の浮き線を描いた程度だた、。イッチン技術は、油紙や渋紙で三角形を作り、先金と呼ばれる真鍮製の三角錐の金属を先に付けて、手の圧力で搾り出しながら線や面を描く、。 このイッチンの泥漿に溶かす顔料は、一種の油絵具のようなもので、この顔料が普及したのは、幕末から明治初期のことだったろうとエビアンは見ている、。 革命的な技術というものは世界同時発達するものだとエビアンは考えてる、。それに船旅しかなかった江戸時代にも意外なことに日本とヨーロッパはかなり行き来があったようだし、。 前にも書いたけど、1867年パリ万博には幕府と薩摩藩とが別個に出展参加しており、商人も着いて行って貿易した筈だ、。日本人は背広を着て参加していたのには驚いた、。 ゴッホがチューブ入り油絵具で絵を描いている頃、日本では「五柳」などの絵師が新しく開発されたか輸入された絵具を使って風来記でご紹介するような見事な絵を描いていた、。そう思う、。 転換時期は1853年のペリー黒船来航の頃だ、。ここを境に「楽焼鉢の絵付け」が変化する、。 「五柳」や「短冊屋」の鉢に多用されている例の「緑色の線」を描いた顔料が何であるかを人を介して現代陶画工の第一人者である布施覚さんに聞いてもらったが、あれが何の顔料を使ったものなのかは受け継がれていなかった、。布施さんにも分からないんだそうだ、。それで、似たような色になるようにアレコレ混ぜ合わせて使っているらしい、。あんなに使われた色の顔料でさえ今となっては分からない、。こういう技術が途切れたのは第二次世界大戦のせいだろうなぁ~、。文化的には残念なことだ、。(大正7年に東京本郷に開窯した手島揫二窯の製品にも緑色絵具は使われてないようなので、この絵具が途切れたのは大正初期の事だったかも知れない、)、。 ここに書いたことを更に確実なものにするために、目下、1850年からの文化的な出来事などを調べているところ、。絵具の話などは出て来ないけどね、。 ------------------------------------------------- 「楽焼き」は「楽家」だけに認められた呼び名であり、「お茶碗」以外に使用することは許されない呼び名だった、。「楽家」の「焼き物」だから「楽焼」なのです、。当初(1500年代中頃)から「千利休」の引き立てによって発展し、時の朝廷とも結び付いていたので、「お茶碗」以外に、また「楽家所以」の者以外に「楽焼」の呼称を使うことは許されないことだた、。 千利休の「侘び寂び文化」を最も表現できる焼き物であった訳です、。 「楽焼錦鉢」に見られるようなハデ派手な絵付けは、「侘び寂び」とはおよそ縁遠いもので「楽焼」本来のものではなく、とても許されないものでしょう、。 にも拘らず”植木鉢ごとき”に「楽焼鉢」と名乗られてしまったのは、明治維新によって天皇も文化の中心も江戸へ移ってしまい、楽家の権威が失墜したから、もはや止められなくなったのだろうと想像、。 だからこそ、その時から我が「楽焼鉢絵付け文化」は伸び伸びと開花して行ったのだろう思う、。楽焼鉢絵付けが本格的に発展したのは明治時代だた、。 ------------------------------------------------------------- <注> 色のついた岩石や鉱物(金属)を粉末状にしたものを「顔料」と呼び、 「顔料」を「亜麻仁油」で粘りが出るまで練り上げたものが「油絵の具」、。 「顔料」を「膠」(にかわ)に溶いたものが「日本画絵具」、。 「顔料」を「粘土と水」とで練りあげて液体状にしたものを「泥漿」と呼び、イッチン絵付けに用いたものをエビアンは「楽焼絵具」という意味で文中、用語として使っています、。
by evian_tn
| 2011-05-10 23:30
| 東洋蘭鉢古鉢中国鉢
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