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◆2012年4月25日、。 楽焼鉢に思う事 とりとめのない話なのだけど・・・ 日頃、頭の中に絶えずあって考える事は「蘭」と「楽焼鉢の歴史」の事だ、。考えがまとまらず、ていうか、新たな証拠も出て来なくて一向に進まないのだけれど、「楽焼鉢」で最近思う事は、・・・ 「短冊屋」鉢は思ってた以上に数が少ないな、てことと、あの絵師(五柳が出現する以前に素晴らしい絵付けを多く残した、あの絵師、)が誰だったか何という名前の絵師だったか、てこと、。 最近特に、今までボンヤリと「短冊屋」だと思ってた鉢が、「短冊屋」ではないという風に思えて来て、「短冊屋」は少ないなぁ~、て思い始めてる、。こう言っちゃ何だけど、エビアンがそう思うんだから、一般の人が思う十分の一も「短冊屋鉢」は存在しないのではないかなぁ、。 「短冊屋」(現・祇園和楽)は、文化文政時代の開窯てことだから、そのままを信じると、1820年代のことだ、。 なんと、「間宮林蔵」「花岡青洲」「杉田玄白」「伊能忠敬」「ドイツ人医師シーボルト」などが後世に名を残す功績を挙げていた頃の時代だ、。歴史のかなたの事かと思っていたが、自分の持つ短冊屋製楽焼鉢を撫でていると、不思議な気持ちになる、。 その頃の「短冊屋」はもちろん「お茶碗」や「茶器」を焼いていた、。ただ、お茶碗を焼く過程で、後発の楽焼鉢製造窯には近寄りがたいほどの「製陶上のノウハウ、」を蓄えていたのは、幕末になって短冊屋が楽焼鉢を焼くようになり、明治時代に入って、他の窯元が「茶器」では食えないで「楽焼鉢」を焼くようになっても、その差は歴然、一目瞭然で判断できるほどのものだった、。 「楽徳窯」鉢の開窯は、幕末1861年のことだから、江戸時代に開窯したのは「短冊屋窯」と「楽徳窯」の2つてことに(名前が判明してる窯では)なる、。 ただし、「古典園芸用楽焼鉢」以外を作った窯元には「楽忠窯」や「楽雅亭窯」があるが、これは別格として、この際は省略、。 「楽徳窯」が作り始めるまでにでも、既に「短冊屋」とは40年間の差がある、。 まして明治に入っての他の後発窯元との差は埋め難いほどの時間差だ、。 それで、「短冊屋」と言われてきた鉢を思い出しながら考えると、「短冊屋鉢」は予想したよりも数は少ない、。 その「短冊屋」鉢には、大きな6寸鉢などには「絵師絵付け鉢」も見られるけど、使い頃の鉢には「窯元絵付け」はあっても(と言っても数は少ないけど、)、「絵師絵付け」がほとんど見当たらないのは何故か?、。 「短冊屋」はあくまでも「茶器」の製作窯元であったから、幕末の頃から「楽焼植木鉢」も製作したが、変なものは暖簾の名折れになるから作れなかっただろう、。シッカリとした植木鉢を数少なく作ったんだろう思う、。植木鉢なんて高価に売れたといっても、たかが知れてる、。「茶器」の方が儲けは大きかったに違いない、。そう思うと、植木鉢を多く作ったとは思えない、。 案外少ないよ、短冊屋の鉢はね、。「私は持ってます、」「俺も持ってる、」「あら私も、」てほどには多くないよ~、て思うね、。 後発の「楽徳鉢」には「蘭鉢」が多く残ってるのに「万年青鉢」が少ないのは何故か? 「楽徳鉢」には「絵師による高級絵付け、」を施した鉢は多いのに、「窯元絵付けと思われるタドタドシイ絵付け鉢」が見当たらないのは何故か? 非常に珍しく有り得ない事だけど「浮田楽徳」自身が「絵師」を兼ねていたのではないのか?、。 ・・・などなど、平素、頭の片隅にこびり付いたままの考えを、とりとめも無く書いた、。こうやって頭を整理して行かないとね、持たないよ、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。悶々とした思いを日々感じつつ・・・てとこかな、。 後発窯元が手本としたのは(目指したのは)「短冊屋鉢」や「楽徳鉢」だろう、。 見分け困難な程似ていても当然のことだ、。 そんな中から、チョッとした「土目の違い」「釉薬」の違い「釉薬掛けの違い」、「ヘリの作りの違い」「焼き加減の違い」「絵付けの違い」「絵付け顔料の違い」「雰囲気の違い」「鋏み痕の違い」「足の形の違い」などなどを、頭の中の無意識のデータと比べる、。 時には楽しい作業でもあるんだけどね、隔靴掻痒の感は絶えずあるなぁ~、。 -------------------------- 世界中で「使い古しの植木鉢をコレクションする、」なんていう変なコレクター(この場合は数寄者かな、)が居る国は日本と中国くらいなものだろうなぁ、。 以前、風来記に書いたけど、西暦1500年代に、日本で「茶碗などの茶道具」が発達したのは、京都の茶道具コレクター(茶数寄、ちゃすき)が居たからだた、。中国から陶工を呼び寄せ(阿米夜だが、)、当時の茶道具界では非常に重宝していた輸入物の「奥高麗」(おくこうらい)の茶碗に似せたものを焼かせ、これが「楽焼」の始まりで、後の茶道の大発展へと繋がって行く、。 一地方の特殊分野の数寄者の要望が文化を作った訳だ、。こう言っちゃなんだけど、日本の盆栽界のように、何時までも輸入物の「中国鉢」ばかり重宝していたら、今日の茶道具の大発展や江戸時代の「京焼」の隆盛があったかは疑わしい、。 そう考えると、日本で「古典の植木鉢」がもてはやされているのだから、現代楽焼鉢にも厳しい注文を付けて行くと、いつの日か現代楽焼鉢も往時のような銘品を作る日が来るかもしれない、。数寄者が化学釉薬鉢で妥協したり、下手な絵付けで渋々ながらも買い取っていたら、楽焼鉢に再びの隆盛期は来ないと思う、。 <注> 楽焼始祖「阿米夜」は別名を「阿米也」とも「飴也」とも書き、日本での帰化名は「宗慶」、通称名を「彌吉」とも「政吉」ともいったそうだから、資料によってどの名前が出て来るかは分からないけど、いずれも正しい、。(こういう風に名前一つをとっても昔の資料はいい加減だ、6つも名前があった筈も無く、口伝えで伝わる内に変化したのだろう、「五柳と五龍」も同じようじゃないか思う、)、。 ---------------------------------------- カラリとした晴天だし暖かい日だったので、散髪屋へ行って来た、。プラージュて理髪店チェーン、。入口ガラスに「シニア割引210円、始めました、」て書いてある、。んん?、それでなくとも安いのに、まだ引いてくれるの?、て思いながら店に入り、散髪・髭剃り・洗髪・仕上げと終ってレジの前に「シニア割引券」てのを渡されたからレジに出したら、今まで1890円でも安かったのが、1680円です、なんて言う、。おいおい、そんなに引いてくれなくてもいいよ、て思わず言ったら、全国一斉ですから、て言う、。早くて結構上手いから行ってるのに、悪いなぁ~、。 同居人に頼んで「京都のタケノコ」を買ってきてもらった、。さぞ旨かろうと楽しみにしてたのだたが、大事に行き過ぎて薄味に煮たもんだから、正直言うと美味くなかった、。普通に煮てくれりゃよかったのに、。今年は京タケノコはこれ1回かも知れない、。中くらいの1個が1000円するのだと言ってた、。木の芽和えは美味だた、。 26日午前2時になってから、フラフラと台所へ行くと、テーブルの上に「お茶漬け海苔」を見付けた、。。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。、こんな夜中にお茶漬け食っちゃいけないだろうなぁ、て思ってみたが、頭はもうあの塩味モードになってる、。ご飯の残りを見ると丁度一人前程度残ってる、。体に悪いだろなぁ~、て思いながらも、お茶漬けの誘惑に負けた、。美味だた、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。 ここんとこ、1年以上も好物の「メザシ」を食べてない、。産地不明のメザシなら売ってるけど、エジプトのピラミッドから出て来たような硬く干乾びたメザシは食べる気しない、。「いかなご」の10センチほどのを焼いて酢醤油で食べたのが今年か去年か忘れたが美味しかったな、。 日本の海で取れた「まともな魚」も食べてないな、。日本の牛肉も食べてない、。ホント、ロクなもの食ってない、。 協和発酵の液体タンパクを体重の千分の0.5ほど飲んだり、アメリカからのビタミン剤を各種飲んだり、アミノ酸飲んだりして気休めしてる、。
by evian_tn
| 2012-04-25 01:01
| 東洋蘭鉢古鉢中国鉢
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