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◆2012年12月1日、。 「京焼」 師走ぅ~、。はやっ!!!,、もう師走だって、。東洋蘭風来記は個別の蘭や植木鉢をいつでも引き出せるように、年毎に多くのフォルダーを整理した親元フォルダーを毎年作ってます、。来年用も2か月前から作り始めてます、。あ、年賀状を買ってないなぁ、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。せわしないな~、。 前スレで、植木鉢スレでもなかったのに「京焼」の事に少し触れてしまったので、東洋蘭界で「京焼」と言う時に出て来る代表的な陶工の名前を系譜的に(非常に)簡単に書いておきます、。 「京焼」の多くは粟田口(あわたぐち)近辺に窯を持ち、陶器は「粟田焼」とも呼ばれます、。 「粟田焼」の祖と呼ばれるのは尾張瀬戸から上洛した陶工・三文字屋九右衛門という人で、京焼の代表的な陶工・野々村仁清の師です、。 一般的には「京焼」は、この「野々村仁清」(ののむらにんせい)と「尾形乾山」(おがたけんざん)(絵師・尾形光琳の弟)から始まったと覚えて下さって結構だと思います、。江戸初期1600年代のことです、。 江戸中期の後半(1750年前後)に「清水焼」(きよみずやき)系の陶工・海老屋清兵衛(えびやせいべえ・通称えびせい)が出て、この門下に「清水六兵衛」(きよみずろくべえ)と「奥田潁川」という名工が出ます、。 「奥田潁川」(おくだえいせん)の先祖は中国潁川県の出身で京都で帰化した帰化中国人です、。代々豪商で、「奥田潁川」は子供の頃から家業は家の者に任せて「陶芸」の道に没頭します、。商売として売るために作るのではなく、あくまで趣味道楽として造ったのですが、その多彩な陶芸風に惹かれる人は多く、その技術を学ぼうと多くの門下生が寄りました、。1700年代終わりの頃のことです、。 「欽古堂亀祐」「青木木米」「中川嘉助(三文字屋・楽只亭)」「二代・高橋道八(仁阿弥道八)」「尾形周平(道八弟)」などが潁川門下生です、。同時代には「永楽保全(善五郎)」も出て、1800年代初期の江戸時代後期に、野々村仁清・尾形乾山以来の京焼の隆盛期を迎えることになります、。 京焼は江戸初期と江戸後期とに隆盛を極めます、。 東洋蘭界で古典植木鉢のコレクションをする上では、上に書いた陶工の名前と時代と師弟・兄弟弟子関係を知っておく程度で十分です、。これら陶工の作品と出合ったら、それは西暦1800年~1850年の作だと思えばよいわけです、。 但し、「永楽窯」や「欽古堂窯」や「道八窯」は何代かは続きましたので、新しいものか古いものかは土目を見ながら判断することが大切です、。後の時代のものでも、上記の名前の落款があれば、貴重には貴重です、。 --------------------------------------------- 前スレで、「紀州・瑞芝窯」の成立に関して・・・ 紀州徳川藩藩主・徳川治宝候の命により青木木米が呼ばれ、「瑞芝窯」を作ったと書きましたが、陶芸資料的には別説も存在します、。 現・和歌山市鈴丸丁(滅法谷)で、1801年に地元の豪家・岡崎屋・阪上重次郎が創業した窯である、というものです、。「瑞芝窯・別名を鈴丸焼」とも、。「偕楽園」に似ている、とか、「偕楽園の復活」を目指した窯だった、とも書かれていますが、1801年と言えば「偕楽園」の成立よりも前の事で(偕楽園は1827年(文政10年)~1852年(嘉永5年)、辻褄が合いません、。 一応、こういう説もある事を記しておきます、。 紀州徳川藩の御用窯という方が聞こえがいいし、夢があると思うので、エビアンは前スレの説を支持したいところです、。 今読んでいる「青木木米物語」にも・・・ 1800年に奥田頴川の元に「三田焼」の指導者の派遣依頼があったが、頴川は青木木米を選ばず、兄弟子の欽古堂亀祐を兵庫県三田へ行かせた、。木米は大いに気落ちしていたが、翌1801年1月中旬に頴川の元に今度は紀州藩から陶工派遣の依頼があり、躊躇なく木米が派遣されることになった、。これが「瑞芝窯」の元となる「滅法焼」であった、。 ・・とありますから、こちらの説を支持したいのですが、和歌山県のこの近辺には窯が多く、「名草焼」「瑞芝焼」「滅法谷焼」は同じものという説があったり、ややこしいのです、。 --------------------------------------------------- 画像の鉢は、胴体の中央部が外に向かって膨らんだ「袋式」と呼ばれる形の鉢、。「透かし模様」も細工され(菊の花弁の一枚一枚も切り抜かれてます)、一般的な楽焼き鉢の形とは異なる、。こういうのも「加茂黒釉薬」を掛けてあるから「楽焼き鉢」と呼ぶのか、それとも加茂黒が使われてはいるが鉢の形から「京焼」や「大阪焼」に分類するのかは決まりはない、。 瑠璃釉薬を使って絵付けしてあり、足の形が「鬼面足 」様式であるところから、「楽忠」あたりの制作ではないかと思われるのだが、エビアンが見た時には既に売約済みになっており、他人さまの持ち物を勝手には触れないので手に取って見た訳ではなく、これ以上は分からない、。胴体の膨らんだ所で横幅20センチくらい、。 ---------------------------------------------------- 12月1日、。毎月1日は、パソコン内部で勝手にバックアップ機能やデフラグツールが動くので、パソコン動作が重たい、。XPのころが懐かしいよ、。デフラグやバックアップは持ち主が手動で行う作業だった、。今のPCはディスクの残量が勝手に減る、。余計な機能が多い気がする、。 本当に寒く冷たい師走の入りだ、。植え替えた蘭が可哀想なくらい水も冷たい、。真冬じゃないの、てほど、。 あかんねぇ、やはり60歳代に比べると誤変換見落としが多くなったなぁ~、。何度も読み返してるのに誤変換や誤字を見落とす、。今後は多少の誤字誤変換はお許しを、てことで、よろしく、^^、。 ------------------------------------- 文中何度か出て来る「おがた乾山」の漢字について・・・ 「おがた」はパソコンの変換では「尾形」「尾方」「緒方」などなどに変換されますが、兄の絵師の方は「尾形光琳」で良いと思うのですが、弟の方は何かの文章で「尾形ではない方のオガタ」と書くのだったように記憶するのですが、上記文章では「兄弟共に尾形」を使用しました、。今度その文章に出会えば、改めて奥部屋でお知らせする予定です、。 余談ながら、東洋蘭風来記は「蘭と鉢」のサイトで、「尾形乾山」の方を書くことが多いのですが、尾形兄弟では兄の「尾形光琳」(黒崎陽人さん命名の日本春蘭朱金銘花・光琳の語源)の方が人間としては奔放でその人生は面白く、何かの時に書くかも知れません、。豪商の家に生まれたのに大変な遊び人で実家の財産も使い果たすほどの放蕩息子だったようです、。しかし、絵師としての腕は超一流で、「光琳波」という文様にも名が残っているように絵師としては歴史に残る人でした、。
by evian_tn
| 2012-11-30 20:57
| 東洋蘭鉢古鉢中国鉢
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