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◆2013年9月18日、。 短冊家「錦画鉢模様控」 このところ、「短冊家価格表」を掲載して以来、3件ほどのメールや電話を頂くので、ついでに掲載しておかねばならないかなと思う資料「短冊家・錦画鉢模様控」、。 短冊家「錦画鉢模様控」は明治25年5月に綴じられた短冊家さんの内部資料、。デザイン集のこと、。 顧客の注文に応じてデザインした鉢の絵が掲載されている、。寸法・色・模様の組み合わせから価格までが書かれている綴じ本、。 前スレの「昭和10年発行の価格表」と、今回の「明治25年に綴じられたデザインノート」とから分かる事を淡々と述べると、 ◆短冊家楽焼鉢の最盛期は明治中期から明治後期であり、大正時代を通って昭和の初めまで製作されていた事、。 ◆明治25年までには短冊家の楽焼鉢紋様は決まっていて、その組み合わせデザインを顧客に選ばせて注文制作もしていた事、。 ◆その事から推察すると、昭和10年頃までは、腕のいい契約絵師も居た事、。 ◆理論の飛躍があるかも知れないが、「絵師五柳」も、もしかすると昭和10年代まで生きていたのかも知れない事、。 ・・・などが推察されるのだ、。今回資料はネットにも掲載されているから秘密性の高い代物ではない、。 どう捉えるかは見た人の自由、。 ただ、短冊家さんも人が多く訪問して来るらしい、。短冊家は商売屋なのだから、物見遊山で冷やかし訪問は商売の邪魔、。訪問するからにはお店の商品の一つも買ってあげるくらいの配慮は必要だとエビアンは思う、。駄菓子屋じゃないんだから、数百円や数千円でお茶を濁せる商品じゃないですよ、。 ------------------------------------------------- なんだ、短冊家て意外に新しいじゃないか、て思われちゃエビアンの本意じゃないので、ここ数年間の調べを元に「短冊家製品」を説明すると大体次のようになります、。 「短冊家」の創業は文化文政の頃といいますから1820~1830年頃のことでしょう、。楽本家からは相手にされない素人の御庭焼でした、。茶器と生活雑器(皿や飯茶碗など)を趣味で焼いたようです、。 「楽焼植木鉢」を作り始めるのは幕末の頃と思われます、。1861年(明治維新7年前)に「短冊家」の近所に「植木鉢得意」の「浮田楽徳」が窯を開いた事からそう考えられます、。 幕末から明治初年の頃はお茶碗など茶器と頼まれれば植木鉢も製作したのだと、現在の残存数から推察します、。 明治時代の小万年青の流行と共に万年青や蘭の植木鉢の注文が徐々に増え、明治25年には遂に上掲のデザイン見本を作るに至ったのだと思います、。そこからはかなり植木鉢にも力を入れて製作したのでしょう、。明治後期・大正時代を経て昭和10年には価格表を発行しますが折からの戦時体制下で製造中止に至ったものと考えます、。 従って「短冊家」が楽焼植木鉢を製造したのは、幕末の少しと明治・大正、そして昭和15年くらいまでの80年間程度と思われますが、途中何度か植木鉢からは離れています、。 内窯は当初は大小5窯あったものの現在ではその内の小さな1窯を残すのみです、。 <NTV interview foreigners in JAPAN>
by evian_tn
| 2013-09-18 13:46
| 東洋蘭鉢古鉢中国鉢
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