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◆2014年9月5日、。 東洋蘭「楽焼鉢」 「京楽焼5窯」の分類もとりあえず一段落したので、今後は更に深く肉付けしたり多くの鉢を鑑賞したりして行こうと思ってるところ、。 あれで「古京楽」とされた鉢が全部見分けられるようになったかてと、そうではなくて、まだまだ見分けが付かない鉢も多いんだから奥深い世界だと感じてる、。 まぁ、一般の人にはほとんど関係なくて、エビアンが勝手気ままにやってることだから、あまり気にして頂かなくて結構です、。博物館の研究員て訳でもなくエビアンは単なる愛好家に過ぎないんだから、エビアンがブログに書く事に何の強制力も指導力も存在しません、。お気楽に読み放して下さい、。鉢のことを話したり書いたりすることが楽しいだけなんですからね、。 画像は「手島揫二の蘭鉢」と「福富京楽堂の蘭鉢」、。 「手島鉢」は何度も書いたように愛知県の「興楽園・杉浦勘之助」と組んで、同じデザインの鉢を両方で焼き、販売は主として興楽園から送ったようで、カタログを発行して相当大量に販売した、。現存する「手島鉢」(興楽園製造も含む、)には、この両窯だけか?、と問われると、そうではないように思う、。似たデザインの鉢は多く、最も多いのは愛知県のいわゆる三河鉢だけど、京都のものも混ざってるように思う、。「白胴に波千鳥、」を描けば、どの窯元の製作鉢も似たような鉢になるのは当たり前のこと、。デザインが簡略化され過ぎていて似たような鉢は作り易い、というか、似てしまう、。「手島の波千鳥、」だけを集めても楽しいコレクションになると思えるんだけどなぁ、。 手島揫二は昭和の初めに出版された本の中で「楽焼鉢の製造窯は東京では手島窯のみ、」と書いているが、一説には東京本郷辺には一時は楽焼窯元が5~6か所あったとも聞くから、そういう所の製品も混ざっているかも知れず、集めてみるのも楽しいと感じてる、。 「福富京楽堂鉢」は明治33年発行のカタログに「京楽焼植木鉢製造販売」と書いているほどだから、東京でも「京楽焼」という言葉は既に使われていたことになる、。こちらも相当多くを販売した筈なのだけど、その割には目にする数は少ないと感じてる、。ま、関東大震災や先の大東亜戦争の東京大空襲でかなりの数は壊れて失われたのだろうけど、その両方とは無関係だった静岡県より東や北関東地方や新潟などにもっと多く残っている筈だと思うのにあまり見ないから稀少価値は高い、。 「京都の京楽焼鉢」は既に何度も書いているところだけど、「幕末から昭和20年まで」と製作年も広く、全部が全部良いものと限った訳ではない、。流石に首都だったという歴史のある場所だけに文化的には深く、着物から引き継いだ伝統紋様などには他を寄せ付けないものがあるけど、5窯の内でも「福井楽印や佐々木松楽」は必ずしも伝統紋様にはとらわれない自由な良さもある、。 「福井楽印鉢」は見ていると商人さんも入手したはよいが価値を計りかねたり、窯元の特定が出来ずに何となく居心地が悪くて実際の鉢の出来具合よりも安価に流通させているように見える、。台の鉢は短冊家にも負けない程なのにもったいないね、。数は少ない、。 最も多く楽焼鉢を製作したのは愛知県に存在した6~7窯の楽焼鉢窯元だ、。愛知県と言えば「愛楽園」と「興楽園」しか名は通ってないけど、他に4~5窯が存在した、。窯元の名前も判明している、。だから、7窯と言えば京都の5窯と東京の2窯との合計数と同じ数の窯元が有った訳で、相当多数の製品を市場へ流した筈なのだけど、見分けられないし知られていない、。京楽焼鉢に混ざってしまってるんだろね、。これだから「楽焼鉢の世界」は奥深い、。 萬年青界が短冊家を神格化してしまっているので、古くて良い鉢は短冊家製だと思ってしまってる人が多いのだ、。、ところがどっこい、短冊家が開窯したり植木鉢を焼くようになるよりも、もっとズーッと古くから楽焼鉢は焼かれており、古くて良い鉢は大阪で焼かれていた、。大阪の堺と貝塚など泉州方面、大阪南の繁華街になってしまってるが難波に「難波焼」という楽焼窯もあったし、水間焼、堺焼、淀川河畔など古い時代に良い鉢を作ったのだけど、知られていない、。鉢ヘリが平らに広がるデザインが出来る以前の「黒鍔焼」というような形の鉢や変形楽焼鉢の古いものは大阪である可能性が高い、。 「短冊家鉢」にしたって、本当に量産体制に入ったのは昭和10年前後なんだから、古く明治時代の短冊家の特に蘭鉢なんて、そうそうあるもんじゃない、。(万年青鉢なら蘭鉢よりは多くある)、。エビアンは多くの鉢を見てるし画像も多く貰ってるけど、明治時代の短冊家の蘭鉢てのは皆さんが思うほどには存在しない、。注文制作で少数しか作ってなかったんだもの、。 何しろ、事の始まりは「短冊家か短冊屋か、」と訊かれた所から始まってるので、エビアン自身も京都の楽焼鉢を書く事が多いけど、他地方の楽鉢にも価値の高い鉢は多い、。あまり近視眼的に見ないことが重要だと思う、。
by evian_tn
| 2014-09-05 01:43
| 東洋蘭鉢古鉢中国鉢
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