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◆2015年1月20日、。 楽焼鉢 3つほど前のスレッドNo.1464で書いた「ヨハネス・フェルメールの贋作を描いたハン・ファン・メーヘレン」について、前スレには書かなかったことがある、。 メーヘレンは例えば「フェルメールの真珠の耳飾りの少女、」を真似てニセモノを描いたのではない、。絵そのものを真似た訳じゃない、。フェルメールの技法を真似たのです、。 フェルメールの描いたとされる絵は現在37点が知られているが、その内、初期の頃に描いたと思われる「3点は宗教画」で、「残りの34点は庶民の生活の中の風景を描いた風俗画、」なのだ、。 つまり、絵を描き始めて3作目は宗教画、4作目以降は風俗画ということになってる、。宗教画を描いていたフェルメールが何故突然ガラリとテーマの違う風俗画を描くようになったのか、3作目と4作目との中間に「宗教画から風俗画へ移行する過程の絵画が存在する筈だ、」というのが後の世の学者研究者の意見で、この「3作目と4作目との中間の期間をフェルメールの空白」と呼ぶようになった、。 メーヘレンはこの「フェルメールの空白」に目を付けた贋作者だた、。17世紀に描かれた油絵を買って来て表面の絵の具を剥がしキャンバスとし、キャンバスを破って裏側から17世紀の糸で破れを繕い、そのキャンバスに描いた、。新しい絵具がレントゲンで見破られないように出来上がった油絵の表面を火で焼き絵具を硬くし、絵具のヒビワレを作るためにキャンバスを折り曲げて絵画表面全体にひび割れを作ったのだた、。 絵のテーマは自分で考えた宗教画風な風俗画、風俗画風な宗教画などを描いたのだけど、始めて見る絵だから誰も偽物とは気付かなかったし、レントゲン検査やキャンバスや額縁の鑑定結果も17世紀の製作を示した、。 で、誰にも気付かれることなくメーヘレンの描いたフェルメール絵画は本物とされ、メーヘレンは批評家の鼻を明かして溜飲を下げたのだた、。絵画を売って数十億円の富を手に入れた、。 第2次世界大戦中にナチスドイツがオランダから接収した絵画200点と自分の描いたフェルメールとを交換した、。(ナチスの絵画接収担当将校が大変なフェルメールのファンだと知って交渉を持ちかけたのだた)、。この事がオランダ国民に知れ、「オランダの至宝フェルメール絵画をナチスに売り渡した売国奴、」の烙印を押され、戦後「国家反逆罪」で裁判にかけられることになった、。この法廷でメーヘレンは遂に「フェルメールの空白」期間を描いたのは自分であると認め、「我こそがフェルメールなり、」と名乗ったのだ、。 国賊だと思っていたのが、オランダ絵画をナチスから取り戻した英雄だという扱いに変化し、禁固1年の判決になった、。この裁判でメーヘレンは「あの絵もあの絵も自分が描いた、」と自白したのだが、それらが全部本当のことかどうかは今でも判明しておらず、フェルメール絵画の中にメーヘレンの作品が有るかも知れないし、メーヘレンが自分が描いたという中に本物のフェルメールがあるかも知れない、というのが現在のヨーロッパ絵画界の謎になっているんだそだ、。 我が「楽焼鉢」の世界で、偽物という訳ではないけれど、「京楽」が製作を止めたり生産数が減った時、つまり大正時代から昭和初期へかけてが「楽焼鉢界のフェルメールの空白」の期間、とも言える訳です、。この時に「楽焼植木鉢」を量産したのが「愛知県」と「東京」です、。 今年は「昭和90年」に当たります、。昭和の初めの鉢といっても80年も90年も経ってる、。大正時代から数えると100年以上も経ってるのです、。無理に汚さなくても結構な時代が乗ってる鉢が多いのです、。 古い鉢を見てくれ、といわれる鉢の多くが「三河鉢」であることが多いのは上記のようなわけです、。東京の手島鉢と福富京楽堂とは見分けがハッキリとしますが、三河鉢の中には上掲の画像のように京楽鉢に見える鉢が多いのです、。ニセモノじゃありませんよ、。後の世の人が勝手に「京楽だ、」と思ってるだけ、。 多くは、昭和の初め(昭和元年から昭和20年まで)の「三河鉢」です、。現在も「古い京楽鉢」として流通しています、。エビアンはこの「三河鉢「に関しては深く追求せずに「楽焼鉢界のグレーゾーン、」として残せば良いのではないかと思っています、。その方が楽しい、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。 --------------------------------------------------- 画像の鉢は最も見分けが困難だった愛知県三河鉢、。絵付けはこのパターンが多いが、見るべきは「加茂黒の分厚さ、」で、京都の中で最も加茂黒が分厚いのは「短冊家」だが、この窯元の鉢は、その短冊家の鉢よりも2倍も3倍も加茂黒釉薬の掛け方が分厚い、。特に上部の鉢ヘリ部分と内側への内掛け部分は分厚く、本来が石の粉だから、上部が重たい、。この鉢を一時的にはエビアンも短冊家だと思ったから、話がヤヤッコシクなった、。第1次「短冊家が見れない症候群」の時くらいかな、。縁の裏側下に凹みというかエグリがなく、帽子のつばのようになってる、。これにも惑わされた、。今月掲載の風来記トップ画面の万年青鉢がやはり、鉢縁下側がエグレがないから頭の中で混乱した、。画像の鉢は足の1本が先っぽが欠けてます、。なのに直立するから立派、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。 ----------------------------------------------------- 「大寒」、。 寒いには寒いのだが、昨年までのようにマイナス6℃の連続日という程のことは無いように思う、。早くも1月の下旬だから、そろそろ春の展示会へ向けての開花準備に入らなければならない、。早いなぁ~、。2月は短い、。アッと言う間に展示会が迫って来るぞ、。
by evian_tn
| 2015-01-19 23:17
| 東洋蘭鉢古鉢中国鉢
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