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前スレ「雪月蝶」について、475ちゃんがBBSに「あんなに小さい花だとは思わなかった」由、書いて居られる、。花型や色を掲載する方へばかり気を使っていて、花の大きさを伝えることも大切な情報なのに、それが欠落していたと反省しきり、。今回の最下段「豆弁翆蓋」にしても1つ1つの花は「1円玉」よりも小さいのだけど、伝わってないと思う、。今後は努力します、。 展示会用に一度は加温したのだけど、結局何かの理由で元の蘭室へ戻した蘭が今頃開花を始めている、。そういうのを家へ持ち込んで画像撮影しながら品種の特徴を観察するのは楽しい、。次々と咲いて来るので、結構忙しいのだ、。 雨天が多くて蘭室での作業が出来ない時には「楽焼鉢」のことを頭の中で辻褄合わせしてる事が多いかなぁ~、。 「江戸時代後半」には江戸東京と京都と大阪を中心に多くの文化が開花した、。 植木鉢や紋様の分野では京都が何と言っても頭一つ抜きん出ていたが、着物の紋様では江戸小紋などが発明されて、大阪京都で出来たものを江戸で簡略化し粋に変化させた、。大阪は堺が中心だった時代が終わると、今の大阪市内が日本の商売の中心地として発達して行ったのだた、。大阪証券取引所(大証)や東京証券取引所(東証)でごく最近デジタル化されるまで場立ちが指の合図で取引をしていたが、あれは大坂の米の取引所で作り出された合図だ、。当時の大阪は米の取引では日本の中心地へと発展して行き、儲けた金を大名に貸し付け、時代と共にそれが例えば現在の三菱東京UFJ銀行などへと変化して行ったのだた、。 「江戸東京博物館」で開かれた「甦る江戸の園芸文化展」に展示された鉢は、東京の植木屋の地下から出土した破片などを展示されたが、黒鍔・白鍔・伊万里・尾張の鉢だけだった、。展示された資料には文献(浮世絵風)が多かったのだが、それによると「楽焼鉢」も江戸後期1800年過ぎには使われていた、。 もちろん、江戸後期には京楽はまだ製造されておらず、あの古文書に出ている「楽鉢」は、「大阪楽」なのだ、。それも「楽忠窯」など有名窯の製品ではない、。大阪楽の研究を今より少しは進めないと、「楽焼鉢の全体像」が見えて来ない、。 調べを難しくしているのは、ある時点で、商人たちが「古京楽」で商ってしまったからだ、。古い京楽鉢だと持ち主が信じている楽鉢の中に「大阪楽鉢」は混入してしまっている、。だから問題は簡単じゃないのだ、。 2005年に病気で46歳の若さで他界された「杉浦日向子さん」(すぎうらひなこ)は「江戸風俗の研究者」で漫画家、コメンテーターなど多彩な方だった、。こういう人の話を聞いてみたかったなぁと思う、。 奈良東大寺二月堂のお水取りも終わり、今日は「春分の日」、。春の彼岸の真っ最中、。 気温は割合に高く、絶好の植え替え日和が続いているのだけど、一向に進まない、。中国春蘭全部と女雛全部の植え替えが待ってる、。途中で中国春蘭の思わぬいい花を見かけると、家に持ち込んで画像撮影したりと寄り道が好きな性格なものでね、。明日は「豆弁蘭見好い駄物2号」と「余胡蝶」を撮影しようと持ち込んである、。植込みも根を剥き出しにされた蘭が5株ほど待って居る、。それを考えただけで気が重くて植え込む気にもならない、。困った、。
by evian_tn
| 2015-03-20 00:59
| 日本春蘭
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