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蘭室周辺の地面に「毛虫が居るぞ」、。 変だなおかしいな、去年「ヒトリ蛾の幼虫」(ひとりむし)に大被害に遭ったのは10月か11月の筈だ、。「ひとりが」ほどは大きくないけど、「茶黒い毛むくじゃらの毛虫」だ、。ネット検索してみたけど、今の時期に「毛むくじゃらのヒトリガもどき」なんて載ってない、。もしかして、あれは季節外れの「ヒトリガ」だろか?、。蘭室周辺の地面でここ数日の間に6~7匹踏み潰した、。 今夜あわてて「殺虫剤」を濃い目に溶いて周辺の雑草(シダやスミレやクローバーや無名の草類)に与えたけど、毛むくじゃら毛虫に対してはあまり有効な薬剤ではない、。 気候は一見順調なように見える、。雨天が多いけどね、。 発芽しているのは棚全体の(よくて)2~3割程度の鉢数、。関東地方(埼玉県だけど)の御常連さんに聞くと、すでに約5割の鉢に発芽があるという、。えらく順調だなぁ、。西はそんなには出てないよ、。よくよく見ると、もっと発芽はあるのかも知れない、。まぁ、芽が1センチほどにならないと見えないから、地際ではもう少し出ているかも知れない、。 今はただ発芽を待ちながら眺めるだけの日々、。施肥はした、殺菌剤散布もやった、軟腐病の予備軍になりそうな場所の30鉢ほどは捨てた、。 ◆「瑠璃釉青海波紋万年青鉢」、。 小さい小さい鉢だと持ち主さんは言う、。一寸何分かくらいの大きさなんだろう思う、。しかしこの鉢は使われていたようだ、。実生用かなぁ~、。加茂黒釉薬を厚ぼったく掛け、瑠璃釉で青海波紋を描き、窯に入れたら大きい鉢の焼き上がり前にこの鉢の青海波絵付け部分は焼け過ぎた様子が見える、。 窯元は・・・と考えると全く分からない、。相当古い時代の製作のようにも見えるが、そんな古い時代にこういう小鉢の需要があったのだろうかとも思う、。大阪楽か京都楽かも不明、。大阪楽はこんなに小さい鉢の需要が出る以前に閉窯しているし、京楽だとすると絵付けに瑠璃釉薬を用いたのは古い時代の短冊家だけだと思うのに、短冊家にしては内掛けが浅すぎる、。鋏み痕とか足の形とか鉢底の顔つきは短冊家だと言ってるのに縁や内掛けを見ると短冊家を否定されてしまう、。非常に凝った面白い鉢なのだ、。欲しくならない数寄者は居ないだろう思う、。(飛田邦之氏蔵) ◆先日の「手島鉢」の記事の後も「手島鉢」のことを考えている、。 大正時代中期ごろから昭和初期へかけて、エビアンの想像以上の数の「三河鉢」が東京で使われていた事を知ったからだ、。そうなると、「手島」と「三河」の見分けが難しくなる、。今年は昭和で数えるなら昭和90年に当たり、あの本に出て来る鉢が作られてから90年も経過している、。元から似ていた鉢が90年間も使用されたり保管されたりすれば見分けが付かなくなっても当然だ、。この事は「手島の総絵付けや魚の子鉢がどこへ行ったか?」の答えにはならないけれど、「手島には波千鳥鉢ばかりがどうしてこうも多いのか?」の答えにはなる、。 それにしても、愛知県の窯元はなぜ自分窯独自の特徴ある鉢を作ろうとしなかったのか、と考えてしまう、。「京楽」や「東京楽」の(言葉は悪いけど)コピー商品を大量生産することに情熱を燃やしたように見える、。愛知県人には芸術性は無いのだろうか、。独自デザインの作品を作るような、または、時間をかけて凝った商品を作り絵付けするような職人気質は無いのだろうか、。 今から500年近く前、西暦1500年代には「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」という天下人を三人も続けて生み出した土地柄である、。矛盾する、。 そこで「愛知県人気質」(クリック)を検索してみると、面白い結果になった、。そうなのか、こつこつと堅実に実利を得ることを追うような気質だたか、。それで納得した、。売れるかどうかの賭けをするよりも確実に大量に売れる製品を作ったのだろう、。東京・関東地方や大阪・近畿地方へ売るには中間的な格好の位置だ、。「黒鉢」「縁足金」「波千鳥」「七々子」(印判もの)などは大量生産が利くものなぁ、。 しかし、「三河」には少数ながら凝った絵付けを施した鉢や、加茂黒釉薬の分厚く掛かった鉢を作った窯元は存在した、。楽焼鉢界で手に持って最も重い加茂黒の分厚い鉢を作ったのも「三河」だ、。だから混乱する、。 ------------------------------------------------------------------ NHKBS3チャンネルで「京都人密かな楽しみ」という番組を見た、。なかなか面白い、。 俳優の団次郎というのが京都滞在10年の文化人類学教授エドワードヒースロー役という設定で、京の都と京都人を分析する番組、。チョットしたドラマ仕立てになっている、。京都という都市が一つのシステムとして完全に機能していることや、京都人の日常の決まり事を解きほぐしていく、。小商売人と職人とが組み合わさって京都を成立させている様子を知られて役立った、。 その中でエドワードヒースロー教授は「文化人類学的に言うと、日本には二種類の人間が居る。”日本人”と”京都人”だ、」というセリフがあって、なるほど言い得てると感じた、。 「京都人気質」を理解するのは難しい、。他府県人にはまず無理だろう思う、。仏教、神道の行事もしっかりと京都人の生活に染み込んで守られている、。季節季節には何を食べるのかも決められていて、それも「ごぼう何本」「豆腐いくつ」「茹でた豆幾つ」という風に細かく決まってる、。道具類を大切に使い、傷んだり壊れたり古びたりしたら、買った元の店へ持って行き修理職人に直してもらうという具合だ、。 少数の道具を大切に作り、大切に使い、修理して修理して長く使う、。 「楽焼鉢」もそういう文化の中で作られたものだ、。大量生産はしない、。心を込めて良い物を少数だけ作る、。京楽鉢が少ししか残ってないのも当然やね、。 ついでに「京都人気質」も掲載しとく、。
by evian_tn
| 2015-05-22 00:40
| 東洋蘭鉢・楽焼鉢
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