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◆2015年12月7日、。 楽徳と五柳の共通点 浮田楽徳と五柳寿運の共通点、。 「楽鉢」の調べ始めの頃には、誰でも同じだと思うけど、「五柳鉢」の魅力に魅かれる、。自分で五柳鉢を持つチャンスも無い頃には五柳鉢の画像を送ってもらって、その特徴を観察し研究した、。 「古典楽焼鉢」を見ていて、今も不思議に感じる事の一つに、「これほどの高級絵付けを施した工芸品なのに、宗教の影響を感じない」ということがある、。西欧諸国の民芸品・工芸品でも、中近東もアジアでも、普通なら「宗教から影響を受ける」ものが多いからだた、。 現在に残る「楽焼鉢」の多くが作られたのは江戸後期から明治・大正・昭和初期のものであって、仏教・神道・の影響を受けた絵付けがどこかで描かれても不思議ではない思う、。 そう思いながら見ていた時に目に止まったのが「五柳鉢」にのみ描かれた「雲形」(くもがた)だった、。「雲形」は神社仏閣や日本家屋の「入母屋作りの屋根の頂上(三角形の頂点)に「木製で作る飾りのこと」だ、。 この「雲形」のみが、まぁ宗教の影響を受けた絵柄と言えると感じた、。それで初めの頃に「五柳は狩野派絵師の仏画の影響を受けた絵師だ、」という風に「風来記ページ」にエビアンが書きこんだ、。 その時点では、「雲形を描いた鉢は五柳寿運の鉢」でしか知らなかったのだた、。 萬年青界で出版されていた本にも「五柳は狩野派絵師の影響を受けている」と書いてあったが納得した、。 それから後、千葉県の某園芸店の園主さんが最上段に掲載の鉢を持っている事を携帯電話でスナップ撮影し、画像を送ってくれた人が居た、。足を正面にした位置での撮影画像だったし、当時の携帯電話画像じゃハッキリとは写ってなかったけれど、足の横の腰部分に「雲形らしき絵付け」が描かれているのが、かろうじて見えた、。デジカメで撮影した画像も送ってもらって、「これは雲形だ」と確信した、。 その鉢はヘリが割れた繕い鉢だった、。が、何としても欲しい、。見た所では「浮田楽徳の鉢」である、。「楽徳にも雲形を描いた鉢があった」という思いで、どうにも入手したくなった、。人を通じて根気よく交渉してもらった、。1年半を過ぎるころに持ち主さんから譲ってもいいと連絡を受けて入手した鉢なのだ、。 鉢の腰部分を撮影してみると、実に手馴れた調子で「雲形」が描かれている、。「金泥のイッチン描きか筆描きか」は判らないけど、雲形が描かれている、。 描かれた「台の鉢の古さ」から、「これを最初に描いたのは浮田楽徳の方」であると直感した、。 なぜ「楽徳と五柳のみが雲形を描くのか」と考えると、二人は狩野派の大和絵師であったのであろうと結論出来た、。こういうのは先輩絵師が描くのを見ていないと描けない、。さらに言えば、その紋様の持つ意味を理解していたからこそ描くことが出来た紋様だったろうと思う、。 浮田楽徳は1830年生まれの狩野派絵師で、師匠の復古大和絵師「浮田一蕙」を直接見ていたのは楽徳の方だけであると思う、。五柳は絵付け鉢の完成度の新しさから、楽徳よりも30歳くらい年下の絵師だったろうと思う、。 雲形は、五柳の方が多く絵付けしている、。「鉢縁下」(はちべりした)や段替わりの線の間にも書く事がある、。楽徳は鉢縁の上側(上面)に描くことがあるが胴部分に描くことはあまりない、。 極く稀に、二人とは全く無縁の後世の偽絵師によってヘンテコリンな雲形を描いた鉢を見受けることもあるが、これはどなたがご覧になっても見分けられます、。
by evian_tn
| 2015-12-07 00:16
| 東洋蘭鉢古鉢楽焼鉢
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