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◆2015年12月10日、。 楽鉢「瑠璃釉薬の顔料」 ここ最近、急に「楽鉢スレ」が多いのは、もう今日明日にも皆さんの手元に「楽鉢特集の園芸ジャパン」が届くので、その文中に抜けている箇所の補足をしておきたいと思っての事です、。 上段に掲載の鉢画像は、江戸明暦2年(1656年)に(今の)大阪府堺市に窯を開いた「楽忠」や「楽雅亭」の鉢です、。 京都の「楽本家筋」の窯元であっても、京都で開窯することは許されず、楽家所縁の堺での開窯でした、。朝廷の引立ても無く自分で楽焼を製造し販売して行かねばならない立場だった訳です、。「茶道のお茶碗」や「食器」としての楽焼は評判が悪く、売れなかったようです、。生活のためにはあらゆる陶器製品を作った事でしょう、。 そうした状況で「楽忠」や「楽雅亭」が「楽焼植木鉢」を作るに至るのには、時間を要しなかったと思います、。案外早い時点、開窯からほんの2~3年以内には「植木鉢製作」を始めたと思います、。生活のために何か売れ筋商品を作る必要があったからです、。 東洋蘭風来記では、過去に「風来記ページ」で、上掲の楽鉢の花模様に塗られている「瑠璃釉」の原料は「ラピスラズリ」だったのだろうと書きました、。「ラピスラズリ」の和名が「瑠璃」であるという単純な理由からです、。 ところが、その後、調べてみても、1600年代の陶器の瑠璃顔料は何を用いたのかは不明のままで、「ラピスラズリ説」を肯定も否定も出来ない状態なのです、。 可能性から最も考えられる原材料顔料は幾つかあり、それらの内のどれかだろうとは思うのですが、特定には至っておりません、。 ◆「岩群青」(いわぐんじょう)というのは「アズライト」の事です、。2枚目画像の石です、。 銅山の銅鉱脈から産し、「マラカイト」がくっ付いた状態で採掘されます、。「マラカイト」は和名を「孔雀石」といい、それから作る顔料は「岩緑青」(いわりょくしょう)と呼ばれ「緑色の顔料」です、。 「岩群青」は時間が経つと酸化して「岩緑性」に変化するので、この両者は同時にくっ付いた状態で出て来るのです、。 欧州ではフレスコ画の空を描いたりするのに用いられますが、時間が経つに従って「緑色に変化」して来るようです、。 日本での銅山の発見は古く、「栃木県の足尾銅山」が1550年頃には発見され、1610年には幕府が採掘を始めていますから、同時期には「岩群青」(アズライト)も採掘された事でしょう、。 ところが、当時「陶磁器界」で顔料としたのは、足尾銅山のものではなく、「中国産の岩群青」なのです、。 この中国産岩群青が純粋なアズライトだったのかどうかは問題です、。上の鉢の瑠璃色の浮彫紋に塗られた「瑠璃釉」の色は、緑色にも変化せず非常に安定しているようですから、単純に「支那岩群青」と決め付ける訳にも行きません、。 ◆「岩紺青」(いわこんじょう)、江戸時代1700年初頭に作られる「プルシアンブルー」と区別するために、日本古来からある方を「岩紺青」としたが、暗い色をしていたというから「岩群青」のことらしい、。 ◆「花紺青」(はなこんじょう)というのもあります、。原石は「スマルト」といい、明るい青色の顔料です、。「ラピスラズリ」(瑠璃)や「アズライト」(岩群青)の代用品として使われた古い時代からある顔料です、。 ◆江戸初期1600年代は、「第一次京焼隆盛期」に当たり、京焼の名工「野々村仁清」や「尾形乾山」(絵師尾形光琳の弟)が出て、名作品を今に残しています、。 この「野々村仁清」が絵付けに使った顔料は、「緑色は岩緑青」、「紺色は中国産岩紺青」、「紫色は支那呉須と丹土と金珠との混合」を使用しており、「野々村仁清」と「忠右衛門」や「宗味」とが交流があった事が証明されれば、此の線も可能性は出て来ます、。調合法を教えられないと出せない色だからです、。 ◆「ラピスラズリ」(瑠璃)の線もまだ可能性としては残っています、。 そういう訳で、1600年代に「あの楽焼鉢」に「瑠璃色の花模様」を描いた顔料は、今時点では特定できていません、。今回の「園芸ジャパン」では、ここの説明が抜けています、。それでフォローしておきます、。 ◆「ラピスラズリ」(瑠璃原石)には”夢”がありました、。 玄奘三蔵が天山南道を旅した7世紀、新疆ウイグル自治区キジル国は仏教がもっとも発達した土地でした、。「庫車」(クチャ)の西方67キロにある亀慈(キジ)は大いに栄えており、仏教文化が花開いていたのです、。その中から生まれた「キジル青の石窟」で青色顔料として「ラピスラズリ」は発見されたのです、。 西欧人が西へ持ち帰り、シリアからは船に乗せてヨーロッパで売られ「ウルトラマリン顔料」として金(GOLD)よりも高価に取引され、その深い青色に魅せられたのが、1600年代オランダデルフトの画家「フェルメール」だったので「フェルメールブルー」と呼ばれるようになります、。 どうせ顔料が特定できないのならば、当時の日本・中国での「瑠璃顔料」は「瑠璃と岩群青の混ぜ物」だったというくらいな方が夢があって楽しかったと思います、。 尚、江戸後期1800年代になってからは、「楽忠」「欽古堂亀祐」「頂山」などが風来記でも過去にご紹介した「赤土六角鉢に瑠璃浮彫紋」とか「紀州偕楽園の瑠璃六角鉢」とか、今月トップ画面の「短冊家瑠璃浮彫鉢」とか、数多くの「瑠璃釉薬」を施した鉢が登場します、。、時代が100年以上も経った後では、どんな顔料が使われたのかは不明ですが、1600年代の顔料と同じでは無いと考えています、。 1730年頃には、ドイツで「コバルト」という金属が特定されているから、そこから後の時代の鉢は何が使われても不思議ではなく、様々な顔料で「瑠璃色」を出せたと思います、。
by evian_tn
| 2015-12-10 00:05
| 東洋蘭鉢古鉢楽焼鉢
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