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「楽焼」の始まりは、京都の茶人たちが自分達の意見を入れた茶器を欲しがり、支那から陶工を招いて民時代の河南地方の焼き物の技法を日本で再現しようとしたことに始まります、。 この京都の茶数寄の熱意が無ければ、今日の「京楽焼」は存在しなかった事でしょう、。 このように、京都における焼き物は「茶の湯」と深く関わった「茶器」の追及が特徴で、この点が他地方の雑器主体の陶磁器窯の発展とは大きく違っています、。 「楽焼」はその後、「千利休」の「侘び茶」の体現に最も適した焼き物として発展して行きました、。 「京焼」の歴史はそういう訳であまり古いものではなく、安土桃山時代(1573~1603年)の京都の茶数寄の好みによって始まります、。個人の家の裏庭の離れのような小規模な窯です、。「内窯」(うちがま)と呼ばれます、。 同じく安土桃山時代に、京都の茶数寄は「楽焼の始祖・阿米也」だけではなく、他にも河南地方から阿米也と同じく軟質施釉陶器「河南三彩」の技術を持った陶工を呼び寄せ、京都三条柳馬場に窯を開かせて茶器を作らせていました、。これを「押小路焼」(おしこうじやき)といいます、。「押小路焼」の始祖となる支那人の名前は伝わってないように思います、。後の江戸時代になって、尾形乾山が「唐人相伝之方をもって之を焼く」と言ったのは、この「押小路焼」の方を指します、。窯場は「短冊家から西の方角へ1~2キロ入った市内」です、。 尾形乾山の作風にはこの「河南三彩」の影響を受けた様子が少し見られますね、。 この「押小路焼の窯元」が「加茂黒を使った(いわゆる)楽焼」を作ったかは不明ですが、一度や二度は試したでしょうが、加茂黒よりもむしろ「乳白地」の釉薬に緑釉を掛ける焼き物の方へ進んだようです、。 途中は完全に途絶えた筈ですが、今でも「押小路焼」は作られているようですから、後の誰かが始めたのですね、。 江戸時代に入ると、瀬戸の陶工達が上洛し、「粟田口」や「八坂神社裏側」や「五条坂」で「登り窯で造る瓦窯」を開いていた所にも「茶数寄」の好みを入れた「茶器の製造」が始まり、隆盛を誇るようになって行きます、。初めに「内窯」ありきで、「登り窯」は後からの登場です、。 「京焼」は、限られた製品を大量に造るのではなく、京都人の性格を反映して「多種類・少数製作」の方向に向かい、各製品の精度を高めた逸品を製作する方向へ向かって行きました、。道理で現存数が少ないのも納得できます、。 以前、下スレでご紹介した「京薩摩焼」は、時代は下って「江戸後期幕末から明治中期頃」までのほんの数十年間に製作されたものです、。「登り窯」を使っての「京焼」としての「京薩摩焼」はそんなものですが、その後、「内窯」を使って作られるようになりました、。この「内窯での京薩摩焼」の窯元名の特定をしたいと思い、探しているところです、。今に残る「京薩摩焼」の内で、「楽焼植木鉢」が作られたのは「内窯」に移ってからの物が多いからという理由からです、。「京薩摩」は今も作られているようですが、途中で途切れていると思います、。知りたいのは「明治時代」に「内窯で楽鉢を作った京薩摩」の窯元の名前です、。 上画像の「加茂黒釉楽鉢」は、「支那鉢」にしか興味が無かった時代のエビアンが28歳くらいの時に初めて買った「古典楽鉢」です、。(以前に掲載しています)、今なら前とは違った視点からこの鉢を見れるかなと思い、再度撮影しました、。その間、楽鉢の研究では随分と変化もあったので、自分でも楽しみにしたのでしたが、何度見ても何も変わっとらんね、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。進歩してないということでしょう、。 「茶器」のような加茂黒の肌、丁寧な作り、申し訳程度に小さな足、平らな底面、丁寧に角を削った底穴、薄い縁、。多分、幕末頃の短冊家だと思いますが、「古典園芸用の鉢」とは別な経過をたどったデザインです、。明治13年に出版の本に掲載された挿絵に、このデザインの鉢が多く用いられている(何が植わっていたかを忘れました)のを見た記憶があり、その記事を3~4日間探したのですが見つかりませんでした、。画像ファイルとしてPCに取り込んでおけば良かったものを、何かの本で見たのでしょう、。 形だけから見れば、1800年型に見えますが、明治13年の本に同型の製品が載っているところから察すると、幕末頃かなぁと思いますね、。あるいは、もう少し古いかも知れません、。 相変わらず暑いです、。早朝から深夜まで暑いので、寝つきが悪い上に早くに目覚めるから寝不足気味、。雨の日があれば眠れるのになぁ~、。 大阪では、府下全域で7月8月の「熱中症」による死者数が30人だそうだ、。警察へ報告が入ってるだけで30人なんだから、実際にはもっと多いのだろう思う、。30人のうち室内で死亡していた人が25人だというから怖いよね、。60歳以上が80%だって、。顔が赤くなって息が浅くなるなど体調が変だと感じてから5分10分だからね、。気をつけて下さいね、。 蘭の方は何もできない、。施肥も殺菌剤散布も暑くてできない、。6日か7日に一度のペースで水を与えるだけ、。これでも恐る恐るだもん、。鉢中の水が切れる前に翌朝9時には30℃を超えるんだから鉢中で湯が沸く、。 台風10号が沖縄南方の海上でエネルギーを蓄えて再び日本へ向かってUターン中、。日本本土へ近付かない事を祈るのみ、。こいつは大きいよ、。 オリンピック、終わってしまった、。楽しかったな~、。 選手たちにあまり重圧を掛けずに見守りたい思う、。誰か一人からでさえ期待されるのは重荷だ、。まして会う人会う人全部から、日本中の人から期待されたりしたら、普通人は重圧で潰れる、。 エビアンの趣味の「路地愛好家」の「路地」は「ろうじ」と発音します、。多分、他地方の読み方とは違っていると思います、。 ◆この夏は、全国各地方によって気候が大きく違っており、通り一遍の春蘭栽培法とかに基づいた手入れ法はかきませんでした、。地方によって対処法が全く違っただろうと思われたからでした、。 風来記御常連の皆さんは、元気にしてるんかなぁ~、。千葉県と埼玉県と四国の御常連というか蘭友というかは、時々電話をくれるので元気にしてるのは分かってる、。東京のUさんと仙台の駄々香ちゃんには時々こちらから強引に電話を掛けるから、確認できてる、。他の人はお元気だろうか、。ま、エビアンがクーラーの中、なんとか生き残ったほどだから、皆さんお元気なんだろうけど、。 商人さんが病気したりすると、その話は直ぐに蘭界を走るから分かるんだけど、愛好家の噂は聞かないからね、心配になるよ、。
by evian_tn
| 2016-08-25 00:47
| 東洋蘭鉢古鉢楽焼鉢
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