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◆2018年9月28日、。 楽鉢雑感、。 今夏は暑かった、。猛暑なんて呼ぶような状況は遥かに超えていた、。7月の「連日の40℃超え」などは、日本が熱帯気候になったのではないかと思わせるほどひどいものだた、。 あの”40℃超えの日々”をどう乗り越えるかは2つの方法のどちらかを選ぶ他に選択肢は無いと覚悟した、。即ち、①もうヤケクソになって夕方になると30℃以上の気温の中でジャバジャバと連日のように水を与える、。②表土の乾燥を見るには忍びないが、水を固くして無難に猛暑が過ぎるのを待つ、。・・・という2方法だ、。 結果は、というと①を選んで水やりを多くした棚は平年並み以上の上出来具合を示し、②を選んで水やりを固く管理した方は新芽の伸びは初夏の頃から伸び悩み、その後の生育も遅々として進まない、。という事になった、。 エビアンは失敗が許されない年齢だから、無難に過ごそうと②を選んでしまった、。だから9月ももう終わろうとしているのに、新木がまだ未完成の鉢が多い、。選択は間違ってなかったと今も自分では思っているが、事実は思いとは違う結果を示してる、。 小鉢もので水を比較的多目に与えた鉢はそれなりに出来ている、。小鉢ものはカラリと乾燥するから水を多くしても大丈夫だと思わせられた,。中でも「楽鉢」の4号以下の小鉢に植えて水をジャバジャバと与えたものは根の出来具合も良く木も作上がりに出来ている、。それで先日来、棚下をゴソゴソと探して「楽鉢」の4寸と3.8寸を引っ張り出した、。 長期予報では、来夏も猛暑は続き、再来年は更に猛暑になるなどと言っている現状を考えれば、今秋の植え替えからは小さめの鉢を選び、なるべくなら楽鉢を多く用いて「水を多目の夏作」に備えたいと思ってるところ、。一つ困ったことには「楽小鉢」を出してみたが「サナ」が足りない、。楽鉢は根が鉢を食い切った時には鉢抜きに苦労する、。鉢を裏返して鉢底のサナをドライバーで叩き割って鉢底から用土をホジホジして蘭を引き出すもんだから、どうしても「サナ」が不足する、。これは困った問題だ、。 この時に三河鉢の生い立ちを調べる中で、既に現在では「西端楽」の正当な伝統を引く後継者は三河安城の「愛楽園」一軒を残すのみである事にも気付かされた、。 興楽園杉浦勘之助窯も京樂園横山孫一窯も、楽鉢不況に生き残るを得ず、「こんな世の中になってしまったが、愛楽園さん一軒だけなら何とか三河楽鉢の生き残りを図れるだろう」と、涙を飲んで窯を閉じたのである、。 現在は「黒楽鉢」を製造販売しているのは「愛楽園一軒のみ」なのだ、。もっと言えば、愛楽園を販売不振で潰すようなことがあれば、「楽鉢」はこの世から消え去る、。「楽鉢の消滅は即ち日本の古典園芸の終わり」を意味する、。 蘭も万年青も富貴蘭も長生蘭も、今ただちにはプラ鉢の作り鉢と楽の展示鉢を持っていれば、とりあえずは作り続けられる、。しかし、それでは「古典園芸界」ではなくなるのだ、。草花趣味と変わらなくなる、。 現在、古典園芸界に生きる人々は、愛楽園の製品を買って支援して愛楽園が潰れないように個人個人が支援して頂きたい願う、。 また、楽家初代・佐々木長次郎(後に田中長次郎)の作品には「楽の落款」は押されてない、。二代目・楽常慶の作品には楽印があるものと無いものとがある、。三代目・楽道入から後は全部の作品に「楽の印」は押されている、。 この事から、太閤秀吉から「楽の苗字」と「楽の金印」とをもらったのは、初代長次郎ではなく二代目常慶ではないかと楽家の人は考えているようだ、。これはおかしい、。豊臣秀吉・千利休・田中長次郎は楽焼き茶碗を語る上でワンセットとも言える仲ではないか、。千利休の「侘び茶」は長次郎の作る茶碗なくしては完成しなかった、。そのことは秀吉も十分承知していた筈だ、。寿楽第(邸)の鬼瓦を作った長次郎の功績を称えて「楽」の苗字を与えたに違いないのに、二代目常慶とは合点が行かない、。長次郎であってもらわなければ物語が面白くない、。 また、初代長次郎と二代目常慶とは年齢が10歳しか違わないから子息である筈はなく、二代目常慶とは何者であるかが判然としていない、。長次郎の弟であるという説や田中常慶の息子であり田中常慶とは千利休の別名である、などなど、書籍によって一定しない、。 初代長次郎には嫁が居たのか子供は居たのかも、この事を書いた書籍には出会わない、。楽家の始まりには謎が多いのだ、。だから、「国宝」には楽家の楽焼は選ばれず、楽家へ遊びに来ていた本阿弥光悦が見様見真似で作った白楽茶碗の「白不二」が国宝に選ばれるという本末転倒、ひさしを貸して母屋を取られる現象が発生した、。 エビアン思うに、長次郎には嫁も子供もいただろう思う、。ただ、長次郎は義理堅い男だったようだから、千利休から譲り渡された「田中姓」を名乗り、自分の子供には千利休の大阪府堺市の実家の家業「ととや」を継がせたのではないかと考えている、。楽家の家系図には出て来ないのだから、。 明治5年には日本で鉄道が敷かれ機関車が走り始めたんだし、明治4年には新聞が印刷され誠文堂など出版社も本を出した、。 日本は外国から機関車(多くはイギリスから)や輪転機を購入せねばならず、それには膨大な外貨が必要になった、。 ・・・・・・・あ~、こりゃぁダメだわ、。明治の職人技の事を書き始めると、とてもこのスレッドには収まらない、。 要は、明治政府が外貨獲得のために日本の職人技を結集した工芸品を輸出するのだが、その工芸品を作った職人技の凄い事凄い事、。明治20年に開かれたパリ万博で目の当たりにしたヨーロッパ人の間に、ジャポニズムというブームを起こしたものだた、。 またの機会に少しずつでも書こうかな、。 G-mailはダメなのだ、。出初めにアダルト業者などが乱用したので多くのサーバーでは「迷惑メール扱い」でサーバー時点で削除する、。従ってこちらへは届かない事があるのだ、。 「余剰苗お申込み」下さる人の申込みメールもG-mailご使用者さんの申込みメールは「迷惑メール」へ配達になるから、余剰苗時には削除ポストも注意して見るようにしている、。Gmailご利用者様はご注意、。先方へ届かないことが有ります、。
by evian_tn
| 2018-09-28 00:08
| 東洋蘭鉢古鉢楽焼鉢
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