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昭和40年(1965年)頃の蘭界は西日本と東日本とでは全く違い、栽培される蘭も違えば人も違った、。西日本は寒蘭とケイラン(蕙蘭)とで蘭界が成立しており、東日本は春蘭(日本春蘭メインだが東京には中国蘭愛好家も居た)だったから、必然的に商人も全くの別人で、東西の商人間の交流もなかった、。全国区の商人というものも居なかったし、日本中が欲しがる蘭もなかった、。 全国の様子を知らせるのは、時々出版される単行本の情報に頼るしか方法はなかった、。 そんな中で、東で一冊、西で一冊の「業界紙」が発行されていて、これが唯一の生きた情報源だた、。 東は東京大田区の日月園・鈴木助三氏の発行する「園芸趣味」であり、これは現在も鈴木氏の甥っ子の杉山氏が「伝統・園芸趣味」として版を大きくしてオールカラーで出版されている、。年々充実しているように感じる、。 鈴木助三氏は、昭和45年に開催された「大阪万博」に古典園芸の常設展示場を設けさせた大功労者であり、その前段階としての春蘭の全国組織、即ち「全国日本春蘭連合会」の立ち上げの功労者でも有った人だ、。全国組織がないと大阪万博に参加させないと言われた古典園芸界が苦労して作り上げたのである、。 西は京都山科の田中義一氏が出版された「月刊・東洋蘭」である、。記者あがりの田中義一氏だから、なんしろ文章力があるから、彼の書く文章には影響力があった、。残念ながら平成の世になってから廃刊となったのは東洋蘭会にとっては大きな損失だった、。 「月刊・東洋蘭」は最初大阪府松原市で創刊され、事情あってその後九州中州の近くへ会社を移し、更に最後は京都市山科区へ移り、そこで廃刊した、。この時々で四国の寿楽園平見一夫会長が面倒を見た、。 全国の愛好家はこの業界紙によって情報を得たのである、。あとは商人の口から出任せ情報に振り回されるほかは仕様がない時代だた、。 昭和の時代の業界の内部情報など知る人も少なくなっただろうから、ほんのさわりの部分だけだがエビアンが書いた、。 ◆「旭晃」は昭和30年代の終わりか40年頃に台湾から日本へ導入された「台湾報才蘭」である、。当初、来日時は「葉先きに白爪」を掛けただけで、覆輪も縞の1本も無かった、。芽の1500円くらいで売られたものだた、。 当時、兵庫県神戸市に朝倉幸三郎氏とその子息で高校教諭の朝倉義雄氏という蕙蘭愛好家がおられ、毎年正月には神戸市兵庫区の井上隆四郎氏宅で「幽香会」という自慢会を開いていた、。この席へ朝倉幸三郎さんが「旭晃」に縞が出た蘭を展示し「旭晃鶴」(きょっこうづる)と称したのが関西での旭晃の変わり初め、。 一方その頃、九州で(恐らく北九州で)「旭晃」に「斑縞芸」(春蘭でいう散斑芸)が出始めて、こちらの方は毎月・毎シーズン・ごとにどんどん芸を進めていった、。関西も芸が安定しない縞斑よりも「斑縞芸の旭晃」の方が楽しく、芸によって価格も数千円・数万円から数十万・百万円くらいまで幅があり飛ぶように売れる「斑縞芸の旭晃」で夜も日もないほどの大ブームがやって来た、。 エビアンもその頃、4月に中嶋鶴造という商人から2500円で買った旭晃斑縞が2ヶ月後の6月に真っ赤な新芽を5ミリほど覗かせた、。コレを見た中嶋鶴造が「にじゅう・・ごまん(25万)で分けとくなはれ!」と鉢を握って離さないので困った、。25万円はその頃のエビアンの年収である、。エビアンの方が内心では腰を抜かしていたほどだ、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。、それが「旭晃ブーム」というものだった、。 日本はその頃、東京オリンピックを終えて大阪万博を迎えていた、。 ◆「旭晃斑縞」はその後も人気を続け、遂には九州佐世保の福田さんの所で最高芸を生むに至り、これを特に「旭晃錦」と命名した、。 旭晃斑縞と「旭晃錦」との違いを説明せよと言われても「見れば分かる」くらいしか表現の仕様がないが、「斑縞」(散斑)というのは極く細かな線の集まりで、1本1本の斑縞は細く短く、それが数十本・数百本・数千本集まって1本の縞に見え、それが更に大小集まって1枚の葉の芸になったという非常に繊細な芸である、。これの最高芸を表わすのが「旭晃錦」なのである、。特に葉裏の斑縞芸は素晴らしく、「銀走り」(ぎんばしり)も交えて絶妙の芸を表現するのである、。「銀走り」は「旭晃錦」に必ず出るというものでもないけれど、最高芸の時には葉裏に出やすい、。「春蘭・軍旗」の最上芸の葉裏にも出るからご覧頂きたいと思います、。 作りやすくて手元でジックリと鑑賞するには最適の品種です、。 「旭晃錦」が登場した後に山陰地方で「旭晃錦」に匹敵するほどの芸の旭晃斑縞が見つかり、神戸の朝倉親子が買い出してこれを「旭晃宝」と命名した、。「旭晃大ブーム時」に最高価格(1本に芽付きで650万だったと思う)を記録したのは、この「旭晃宝」であり,買い主は東京のキャバレー王・小浪義昭氏でした、。 斑縞物の葉裏に現れる「銀色に見える灰色っぽい縞」のことを「銀走り」(ぎんばしり)と名付けたのは「月間東洋蘭の田中義一氏」である、。その用語が気に入って今も使い続けているのは、恐らくエビアン一人だと思う、。よい用語だから永く残してもらえると嬉しい、。 この記事中、旭晃斑縞芸の項目で人名などは四国華幸園・住田武夫・幸弘両氏にご協力を頂きました、。感謝!!!,、。 認知症にならなくとも「コロナ」である、「コロナ」に罹れば1週間でオシマイなのである、。これには恐怖した、。 書き洩らしていたが、エビアンもファイザーワクチン2度目を打った、。秋季展を開きたかったのと正月に子供と会いたいからだた、。じじいだから副反応もキツくはないのだが、血圧が3~4日、血糖値が10~20高い日がしばらく続いた、。腎臓へ影響するんやろね、。効いているのか効かないのか効果のほどは多分にあやふやなワクチンなのだけど、まぁ一応打った、。 それで、最近の奥部屋では可能な限り人名などを具体的に書き残すように意識して書いている、。後世の参考になれば良い、。 今回の記事でも、神戸の朝倉義雄氏の「読み」は覚えているのだが「漢字」が出て来ない、。住田さんのお世話になった、。今朝未明(昨日深夜)のことである、。 「旭晃ブーム」では日本中みんな楽しかった、みんなで遊んだ、みんなが小遣い稼ぎをした、。そういう楽しい蘭界を今の人にも味わって貰いたいと時々古い商人さんと話し合うことがある、。
by evian_tn
| 2021-09-22 00:03
| 恵蘭(蕙蘭)ケイラン
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