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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 画像は4.8号程度の「縁足金蘭鉢」、。 上縁や内側の加茂黒の掛け方が良くてね、ここんとこ気に入って触ってる、。もうすぐ飽きる、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。 これでも100年くらいはあるかなと思ってる、。 ------------------------------------------------------------ チョッと「楽焼そもそも」の頃の「楽家」のことを書きますね、。 上画像5枚目に1枚追加したのは、佐々木長次郎が豊臣秀吉の京都での住まい「京都・寿楽第(邸)」造営の時に造ったとされる「寿楽第(邸)の棟瓦です、(楽家所蔵)今に残るそうです、。 「寿楽第(邸)」完成後天正15年(1587年)に、豊臣秀吉は上洛し入城するわけですが、佐々木長治郎が造ったこの「寿楽第の棟瓦」の出来が素晴らしかったので、佐々木長治郎に「楽の苗字」と「楽の金印」とを与えたと2016年1月号の「園芸JAPAN誌・これで分かった楽鉢の全て」に書きました、。 この意見が最も多い説なので、あの原稿を書く時に「長いものに巻かれるように」そう書きましたが、現存する上掲の長治郎作の棟瓦には長次郎の直筆と思われる「製造年」が書かれて(彫られて)いるらしく、その年と寿楽第完成の年とが噛み合わないのだそうです、相当ズレているらしいのです、。 楽焼始祖の阿米也(阿米夜・飴也)帰化後の名を「宗慶」が渡来したのは室町時代後期文亀永正年と伝えられ、天正2年に他界しています、。「阿米也(阿米夜)の造った御茶碗」というものは残っていません、。阿米也の死後、天正5年には織田信長の命により「息子の佐々木長次郎が田中利休(後の千利休)の好みを受けて父宗慶の遺法に基づいて赤楽と黒楽の茶碗を製造して献上した」という史実がある、。 また、阿米也(阿米夜)宗慶の死後、その嫁の佐々木氏の娘(名前がどの本にも載ってません)が仏門に入り「尼焼」という御茶碗を焼き、これは少数ながら残っています、。 ◆楽家初代佐々木長次郎は、寿楽第(邸)の棟瓦(むねがわら)の製作年と寿楽第の完成年とが一致しない事、と、今に残る長次郎の作った茶碗には「秀吉から貰ったはずの楽の落款が押されてない」のです、。 「楽家二代目常慶」の御茶碗には「楽の落款は押してあったり押されて無かったり」します、。 「楽家三代目道入(のんこう)」の作った御茶碗には全部「楽の落款」が押されています、。 ◆これらの事から、「豊臣秀吉から「楽の金印と楽の苗字」とを貰ったのは長次郎ではなく、二代目常慶ではないのか?」という意見が楽家の中にも存在します、。 ◆ただ。ここで大きな疑問で有り問題でもあるのは、楽家初代長次郎と二代目常慶との年齢差が10歳だという点です、。 「楽家は一子相伝と言いながら、二代目は僅か10歳年下に過ぎないのは何故か?」「二代目常慶とは誰なのか?」という点です、。 三代目は間違いなく二代目の子供、四代目は間違いなく三代目の子供、なのですが、「二代目がどこから現れた誰なのか、」が判明しないのです、。 「二代目は長次郎の叔父である、」という説と「二代目は長次郎の弟である、」という説とが支持者の多い説ですが、他にもあって混乱しているらしいのです、。 ◆その「二代目」が豊臣秀吉から「楽の苗字と金印とをもらった」というのでは話が割り切れないのも当然で、楽家はこの点において信頼が揺らいでいる訳です、。 「楽焼」が「京焼」に含まれていないのも、日本の国宝に「楽家の楽茶碗」が選ばれずに、楽家へ遊びに来ていた「本阿弥光悦の白楽茶碗」が選ばれているという屈辱も、「楽家自身」のこのモヤモヤぶりが原因かも知れません、。 実はエビアンも二代目常慶説の方が合理的である、」と思っていますが、2016年1月号の原稿を書いている時には、流れに竿を差すようなことはせず無難に行こうという気持ちに負けました、。いずれは一度書いて詫びておかねばならないと思い続けてきたので、ここに記しておきます、。まぁ我々にはどちらが正しくても大した問題ではありませんが、。 ◆楽家初代の佐々木長次郎(後の田中長次郎)が子供に継がせておれば起きなかった混乱ですが、長次郎の子供は恐らく「堺の田中家の家業ととや」の方を継いだのだと思います、。楽家の歴史の中で「長次郎」が出て来るのはこの時だけです、。 話の中に「織田信長と豊臣秀吉」という二大天下人の名前が出て来て、長次郎は当時の政治の中心部の人達との関わりもあったのだなぁと感じます、。 この後に「楽雅亭」と「楽忠」は「楽家」を出て大阪の堺で開窯することになって行きます、。 (IMEが上手く利いてなくて長次郎が長治郎に誤変換されている箇所が残っているかも知れません。御容赦!) ネット記事じゃ永くは残らない、。活字媒体は週刊誌のような底質な紙に印刷された記事でさえ100年近くは残る、。風来記の記事の内でも「これは残って欲しい」と思う記事は過去の何度か記事にして掲載してもらったことはある、。その代表は「2016年1月号の楽鉢窯元を纏めた記事」だた、。エビアン自身が今も時々読んで楽しんでいるほどだ、。紙の媒体の記事として残るのはありがたい、。ネットは消え去る記事だものね、はかないよ、。 クーラー消したら暑くて寝られへんし、 クーラー点けたら南極でキャンプしてるみたいに寒うなるし、寝られへんやん!、 皆な どうしてんのん?、 いくらなんでもチョッと記事掲載が早過ぎる気もしますが、会場の予約からいうと、もうそんな季節なんですよ、。
by evian_tn
| 2023-08-04 00:10
| 東洋蘭鉢・楽焼鉢
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