フォロー中のブログ
お気に入り・サイト
検索
以前の記事
記事ランキング
その他のジャンル
ライフログ
栄養ビタミン療法
カテゴリ
全体 東洋蘭(春蘭) 東洋蘭・中国蘭(中国春蘭) 東洋蘭・奥地蘭(中国蘭) 東洋蘭・日本春蘭(春蘭) 東洋蘭・中国春蘭 韓国春蘭(春蘭) 恵蘭(蕙蘭)ケイラン 一茎九華(中国蘭) 東洋蘭春蘭展示会 東洋蘭鉢古鉢楽焼鉢 東洋蘭鉢・楽焼鉢 東洋蘭春蘭植え替え 寒蘭・杭州寒蘭 春蘭 日本の蘭・蘭科の山草 報才蘭・大明蘭 台湾春蘭 万年青・おもと・オモト 季節の話題・季節感 東洋蘭富貴蘭風蘭 このサイトについて タグ
東洋蘭
日本春蘭
奥地蘭
中国蘭
中国春蘭
春蘭
東洋蘭・春蘭鉢・植木鉢
韓国春蘭
恵蘭(ケイラン)
中国蘭一茎九華
東洋蘭・奥地蘭
東洋蘭・春蘭
東洋蘭展示会
九花
九華
寒蘭
春蘭展示会
蓮弁蘭
蘭科山草
china orchid
最新のトラックバック
ファン
ブログジャンル
|
「暑いにもホドてものがある、」というほど熱く暑い日が続きますね、。 昨日水を与えた筈のプラ鉢植え春蘭を、今日には親指と人差し指との2本の指で持ち上げられるほど軽くなってる、。かといって、これ以上水やりを多くする勇気も無くて、どうにもタダタダ見ているだけの蘭作りになってる、。「根は下りて体質は丈夫になってるだろう」などと気休めみたいなことを考えて諦めの境地に達しているのだた、。 「天然緑土(テールベルト)」で凝った絵付けをした鉢でも「江戸幕末の製造」と言えるという新時代に入った、。それも突然に入った、。 江戸時代製作の鉢と明治時代製作の鉢との境目が判然としなくなった、。 幕末にフランス国パリで開かれた万国博覧会の折りに江戸の「顔料専門商人・瑞穂屋卯三郎」がヨーロッパから輸入してきた顔料が各地窯元へ売り込まれてから「楽鉢絵付けが派手になった、」という筋書きを立てて、それに沿って時代考証を進めてきたのが、ちーとその境目がアヤフヤになって来つつある、。 難しい時代に入るな~、。「楽鉢の歴史調べの旅、」も新時代に入った訳だ、。楽しいと言えば楽しいんだけどね、^^。 「園芸JAPAN誌・2016年1月号」に「楽鉢」が「楽茶碗」から分離した窯で作られるようになる過程を説明してるのですが、そこを読んで頂けてない人や新しい楽鉢の数寄者さんのために、徐々にではありますが今後は書いていくつもりです、。 上画像、上から2枚は「大坂楽」の画像です、。 「楽焼の植木鉢」は大阪の堺市で誕生しました、。徳川幕府誕生の頃です、。1枚目画像は「最初の楽鉢」です、。楽家2代目常慶の弟・宗味(そうみ)が開窯した「楽雅亭窯」(らくがてい)の鉢で、家康か二代将軍秀忠の時代のものです、。「楽忠窯」は楽家3代目道入の弟・道楽(どうらく)が1656年(明暦2年)に開いた窯で、「楽雅亭」は「楽忠の叔父」に当たります、。いずれも江戸初期の「楽鉢そもそも」の頃の話ですから、本項テーマとは離れます、。2枚目画像の黒鉢は1700年代後半の大阪楽鉢です、。 「天然緑土(テールベルト)」が江戸・幕末には使われていた事実が発見されたので、今後はそれを使った鉢の内で極く古そうな鉢は「江戸幕末製造」ということになりますが、そうであれば、「それ以前から有った顔料だけを使った鉢」も見直されなければならないと思う訳です、。 江戸幕末までに既に存在した顔料は、「最も早くに使われた瑠璃釉のルリ色」「鉄釉の茶色・黒色」「土製顔料の茶色」「土製顔料の白色」、滅多に見られませんが「マラカイトの透明感ある緑色」もちろん「釉薬として使ったときの加茂黒の黒色」「金の金色」「普通は陶器には使わないが、呉須の青色」、程度のものです、。そこへ今回「土製顔料の天然緑土の緑色」が加わった訳です、。 上画像3枚目はヘリはロクロで引き上げたままで横へ少し広げた「黒つば焼の形をした鉢」に「ルリ青海波紋鉢」 4枚目は縁金の他は並の白色だけのシンプルな釉薬使いですが、よく見ると白色の中に青色を練り込んであるので、この青色が「呉須」か「瑠璃」ならよいのですが、それ以外なら明治に入ってからの鉢になります、。 ま、そういう風に今後は境目が不確実な難しい時代に入るということです、。
by evian_tn
| 2023-09-04 16:47
| 東洋蘭鉢古鉢楽焼鉢
|
ファン申請 |
||